道具を愛するということ
僕がロンドンに住んでいたときに、一緒に住んでいた香港人のフラットメイトに、こんなことを言われたことがある。
「なぜ、洗剤をつけるんだ。」
僕は何をしていたか?
フライパンを洗っていました。うん。いつもどうり…
まだ来たばっかだし、なんか怒ってるのかもわかんないし、とりあえず、ソーリー。意味わかんねえや…。
でも洗いもんは、自分で洗うルールだし、当然フライパンはまた使うわけで、当然そいつも一緒に住んでるんで、見つかる訳で…。
別の日…
「だ・か・ら、なんで洗剤つけんだよ。」(彼)
「いや~。なんか気持ち悪いっしょ。普通っしょ」(僕)
「いやいやいや。いらんいらんいらん。テフロン加工とかしてないんだぜ。油塗って使って、使い終わったら、さらっと洗って油塗っとけよ。フツウッショ」(日本語訳に自信はないです。そんな雰囲気だと思います。)
…なるほどっ!な~んかやけに焦げ付く使いにくいフライパンだな~と思ってたんです。テフロン加工、向こうでもそう呼んでたのかはわかりませんが、僕は日本でそういった優れた性能のフライパンに慣れすぎてたのです。当たり前に思ってました。…かっけ~!(かっこいい~)なぜそう思ったのかは、よくわかりませんが、僕には彼が周富徳のように、白い長い帽子をかぶっているように見えました…。四千年の歴史を垣間見た気がしました…。(実際彼はそんな事を言ったのかも謎ですし、帽子は当然かぶってません。)
それからというものの、帰国してからも、やけに炒飯にはこだわるは、マイ中華鍋を購入するは、おまけに自宅のキッチンまで、業務用厨房コンロを設置する始末。(第一回炒飯対決結果第三位)4人中…
台所の、鉄鍋の錆落としをゴシゴシやってたら、その事を思い出して、ブログに書いてみました。
マイ中華鍋も磨いてやりました。そうしていると、なんだかいつも使ってる、いや、役に立ってくれてる道具達が愛おしくなってきて、自分のハサミも磨いてやりました。
いつもありがとう。これからもよろしく。